皆様こんにちは。
研修でも、これまでのメッセージでも
私は「言語化が大事」という話を
よくしていると思います。
その事実に変わりはないのですが、
言葉は万能ではないということも
同時に自覚する必要を最近強く感じます。
理由はいくつかあります。
(1)まずひとつは、言葉による
意思疎通には限界がある、という
こと。
私たちは頭の中にあることをすべて
適切な言葉にできるわけでもないし、
相手がこちらの言葉をこちらの意味通り
に解してくれるとは限らないからです。
これについては、
対面の会話であれば、相手の表情や態度を
見たり、あとで再度確認したりすることで、
ある程度は補うことができます。
(2)次に、一度言語化してしまうと、
私たちはすっかり安心してしまう
ことがある、ということです。
それが本当かということを疑う
ことをやめてしまう。
自分が伝え手の側の時も、
自分が聴き手の側の時も
双方で起こりえます。
さらに最近はAIが
「正解らしきこと」を言ってくることもあり
より気を付けないといけません。
AIに相談事を投げかけて壁打ちしていって、
確かに筋は通ってるんだけど、でもそれは
自分が果たして最初にやりたいことだったの
だっけ・・・ということ、皆様もご経験
ないでしょうか。
AIの場合、論理的には筋の通ったことを
言ってくるので、
きれいに言語化された答えは、我々を
より一層、思考停止においやる可能性が
あります。
それは自分の言葉ではないがゆえに、
誰でも言える言葉になってしまっている
恐れもあるわけです。
そうした中で私たちが、正しく判断したり、
意思決定したりしていくためには、
どうしたらいいのでしょうか。
私は、言葉や論理で考えることに加えて、
言葉になったものを「本当にそうなのかと
もう一度、自分自身で確かめる力」が
これからますます大切になるのではないかと
考えています。
たとえば、
・何かおかしい、という小さな違和感
・言葉としてはきれいだけれど、
自分がやりたいこととは少し違うという感覚
こうしたものです。
これまでの社会では、ともすれば
「感覚的なものだよね」と一蹴
されてきたものかもしれません。
けれど、正解が一つではない問題について
自分で判断し、選択していくためには、
大切な判断材料になるのでは
ないでしょうか。
AIを使ったとしても、
「私は本当にそう思っているのか」
「これは私が選びたいことなのか」
と、自分自身に問い直してみる。
自分の「判断センサー」が少しでも
反応すれば、健全に疑い、再考する
というステップが
ますます必要になるように感じます。
言葉になったから、わかった。
論理的だから、正しい。
AIがそう言っているから、きっとそうだ。
そこで思考を止めないことが、
正解のない時代に、自分が納得できる
判断や選択をしていくために求められる
新しい「忍耐力」なのかもしれません。
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判断センサーを再認識することから
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朝晩の気温差が大きくなってきましたね。
ご自愛の上、今日も素敵な一日を
お過ごしくださいませ。
